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カナダ西部、プレーリー地方の歴史は浅い。
アルバータ州やサスカチュワン州には、国立や州立の歴史公園や史跡などがあるが、史跡の殆どはヨーロッパ人が先住民族と毛皮を交換するために建てた交易所と北西部騎馬警察、現ロイヤル・カナダ・マンテッド・ポリスの治安所であるフォート跡。
そして、昨年訪れたサイプレス・ヒルズにあるフォート・ウォルシュ同様に、先住民との間でカナダの歴史上重要な争いがあったフォートは、現在カナダ国営の歴史資料跡として保存されている。

毛皮交換と先住民族無しには語る事が出来ないカナダ西部の歴史。
今年もまた、そんな歴史に触れる小旅行に行ってきました。
今回のターゲットはサスカチュワン。
『1885年のカナダ北西部の反乱』に関わった史跡を訪ねる2泊3日の旅です。


ここで、『1885年のカナダ北西部の反乱』について簡単に。
カナダの先住民族とヨーロッパ人(多くがフランス人)との混血民族メィティ( Métis)が、度重なる政府への不満を爆発させて起こした反乱。バッファローの半絶滅による飢餓や自然災害以外にも、メィティ独自の土地分配法(全ての住民が川沿いに土地を得る事が出来るように川から細長く土地を分ける)を、カナダ政府がイギリス方式(川とは関係なく、全て正方形に切って分ける)にした事への怒りなども大きな要因となった。メィティは1869年から70年にマニトバで最初の反乱を起こしており、サスカチュワンは2度目の反乱。
同じ頃、メィティ達の反乱のことを聞きつけた、付近の先住民族である草原のクリー族達も、交易所と交わした契約通りに、約束していた食べ物や薬などを、きちんと渡してくれないカナダ政府への怒りが爆発し、自分たちも反乱しようと思い立つ。クリー族の2つのグループの平和酋長ビッグ・ベアーとポンド・メーカーに変わり、反乱を率いたのは、戦士酋長であるワンダリング・スピリットとファイン・デー。(クリーの伝統では、平和と戦争を担う二人の酋長がいて、戦いに関しては戦士酋長の決定に任されていた。)
上記二つの反乱は独立して起こったものだが、政府はメィティとクリー族が協力して反乱を起こしたと考え、カナダ軍を初めて派遣した。

カナダ軍の力に反乱はほどなく終結、1985年3月26日から5月12日の間に、北西部準州、現在のサスカチュワン州内9カ所での戦いで、双方あわせて128名の命が失われた。
そして裁判では、メィティのリーダー、ルイ・リエル(Louis Riel)を絞首刑に、平和酋長と戦士酋長のシステムを知らないカナダ政府により、戦争酋長ではなく平和酋長であるビッグ・ベアとポンド・メーカーも反乱の罪により処刑されてしまう。後に戦士酋長であるワンダリング・スピリットも処刑されたが、ファイン・デーだけは捕まることなく、家族と幸せに暮らし続けたという。


..というわけで、
初日の目的地は、フレンチマン・ビュート(Frenchman Butte)。
エドモントンからイエローヘッド・ハイウェイを東へおよそ230km、アルバータとサスカチュワンの州境の街ロイドミニスター(Lloydminister)から州境線を約25km北上、3号線から再び西へ入って30km程走ったところにある、ノース・サスカチュワン・リバー沿いの小さな村。
ここに、クリー族の戦士酋長ワンダリング・スピリットとカナダ軍が戦った跡が、フレンチマン・ビュート国立歴史跡(Frenchman Butte Historic Site)として残されているが、何故かどうしても見つける事が出来ずに、代わりに辿り着いたのは、

フレンチマン・ビュート
フレンチマン・ビュート村にあるフレンチマン・ビュート博物館
オリジナルの家などを含めた9つのビルからなる博物館で、一応、『1885年の跡』となっているように、メイン館ではフレンチマン・ビュート反乱の歴史などが分かる展示もある。が、多くの骨董品は、ロイド・ファーマン(Lloyd Furman)という人の収集品で、博物館に寄贈されたもの。
この写真は旧CN鉄道の駅舎で、メイン館のようだがそうではない。


博物館見学は、案内人付きで。
最初に連れて行かれたメインの博物館の中は、こんな感じ。

フレンチマン・ビュート


フレンチマン・ビュート

個人の収集物とは思えない、大量の骨董品。
ロイドさんの寄贈品は最初、CN鉄道の駅舎に飾られていたが、最終的には増え過ぎて、ロイド・ファーマン・ビルという建物を建てて、そこに展示。それが博物館ツアーで最初に連れて行かれるメイン館。


最初の博物館であった駅舎の中にある、駅長さんが暮らしていた部屋。

フレンチマン・ビュート


フレンチマン・ビュート
キッチン。ロイドさんの収集品だけでなく、村人からの(不要品の)寄贈なんかも結構多かったらしいが、現在ではあまり寄贈は無くなった模様。


次に連れて行かれた、
フレンチマン・ビュート
リーア・ハウス(Leer House)。リーアさんという家族が住んでいた手作りの個人邸で、1928年築の質素な木造家屋。


フレンチマン・ビュート
室内。右の方にある木の箱は冷蔵庫。


それから、外から見て家かと思った建物は、連れて行ってもらったら、
フレンチマン・ビュート
学校だった。こちらは1926年築。


フレンチマン・ビュート
博物館の前の集落も博物館の一部かと思ったら、ただの住居でした。


フレンチマン・ビュート
フレンチマン・ビュート村は可哀想なくらい錆びれているけれど、思わず『可愛い!』と叫んでしまった、小さな郵便局。


博物館はそれなりに面白かったが、1885年の反乱の歴史というよりは、フレンチマン・ビュート村の個人史みたいな感じだった。
それから、フレンチマン・ビュートの少し西に、ハドソン・ベイ・カンパニーが1830年に建てた毛皮の交易所で、1885年の北西部の反乱の一舞台となったフォート・ピット(Fort Pitt)史跡公園があるが、こちらは国立ではなくて、州立。今回は国立史跡をターゲットとしていたため、立ち寄らなかった。

次は、更に東のバトルフォードへ向かいます。

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