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昨日の記事のオレンジ色の夜の雲、11時頃に撮影のは日没後の太陽光の反射疑惑が濃い中、夕べまたオーロラ赤警報。夕べは晴れていたんで夜2度程空を見上げてみたけれど、我が家から見える空からはオーロラは観測されず。一晩中起きてるわけに行かないので、結局今回もまた見逃し。


ということで、ドライブ旅行に戻ります。
発情した鳥の絶叫が強烈なインパクトだった、ワシントン州ワルラ(Wallula)のキャンプ場を後にし、アルバータへ向かって走ります。

ワシントン
殆ど木の生えていない南アルバータ風の畑地帯をひた走り、


ワシントン州最後の都市、スポケーン(Spokane)に寄ってみたら、
スポカーン
バスケットボールのフィスティバル、フープフェスタ(Hoopfest)開催中。
市内の道路を閉鎖しての路上バスケットボール・トーナメントで、市内の駐車場全て満杯。フープフェスタを観に来たわけではないので、スポケーンは結局スルー。


先へ進みます。
オレゴン
森林地帯を抜け、アイダホ州へ入る。


アイダホ
コーダレーン湖(Coeur d'Alene Lake)を通過、再び山岳地帯へ。


そして、
ウォレス
『銀の都』、アイダホ州ウォーレス(Wallace)に到着。

高速の上からたまたま見えた古い街並に引かれて訪れたウォーレス、実は『世界の銀の都』として、1883年から、銀をメインに、鉛、亜鉛鉱、そして金などの採掘で栄えた町。1900年以降には、世界でも最も裕福な鉱山の町のハブとなり、現在も引き続き採掘中。

ウォーレスの始まりは、町の名前でもあるウォーレス”大佐”(自称?)が、購入した80エーカーの、杉の木に囲まれた湿地帯。1884年、ウォーレスはここにキャビンを建て、新しいコミュニティを『プレイサー・センター(Placer Center)』と名付けた。1885年当時、プレイサー・センターの人口は14人。

ウォーレス”大佐”が1883年から採掘を始めた鉱山は、徐々に増え、1886年には辺り一帯を網羅、一大鉱山の町『ウォーレス』誕生。1886年に学校が建ち、14人だった人口は1年間で500人に急増。1887年には、ダウンタウンビ・ジネスも定着し、鉄道も建設された。

しかし1890年にホテルからの火災にて、木造建築は全て灰に。新たなレンガ作りの建物はすぐに建設されたが、1910年の山火事にて、町の東側は全て破壊されてしまう。
1892年と99年には、労働者一揆が起こってアメリカ軍が出動、労働者1200名を監獄入りに。
また、1903年には当時の大統領ルーズベルトがウォーレスを訪問、鉄道駅にてスピーチを行ったが、5000ドルをかけて用意した国旗やまん幕は、嵐にあって台無しになったとか。


ウォレス
そんな、鉱山で栄えただけでなく、何かと”辛い”過去も経験済みのウォーレス、現在は銀の採掘と共に、観光業でも栄えています。
ちょっとした映画のセットかと見間違える小さなダウンタウンは、実際に映画撮影が行われたりもするようだが、観光客にとっては、こういう歴史的な街並はいつでも人気。町ではウォーレス産の銀やアクセサリーも購入出来るし、光り物好きには魅力的。
また、銀山採掘場ツアーやゴーストタウン・ツアー、ウォーレスの歴史を学べる博物館も面白そう。
町の観光だけでなく、自然の中でのアトラクションとして、スキー場やゴルフ場、釣りやハイキングコース、キャンプ場などもある。

今回たまたま通りすがりに見つけて寄ってみた『銀の都』ウォーレスは、いつかこの地を観光目的として改めて訪れ滞在してみたいと強く思った、とても印象的な町である。


ウォーレスに感心した後、いよいよモンタナ州へ。
モンタナ


この日の最終目的地、
ミズーラ
モンタナ州のミズーラ(Missoula) で、


アメリカ風寿司和食。
寿司
相当待たされて出て来たこの巻寿司、酢飯がイマイチで押し過ぎな感じだったけれど、時間がかかるのも納得な程創作的で観た目が奇麗。味も、飯に目をつぶれば割と美味しかった。
アメリカにしては意外な程小粒だった(写真は二人分)ので、


珍しくデザートを頼んでみた所、こんなものが!
デザート
「抹茶アイス天ぷら」ですと。寿司一人分以上に巨大。
アイスクリームを溶かさずにどうやって天ぷらににするのか謎ですが、意外にも美味い!
(*天ぷらの衣は全部食べません。)


さて、明日はいよいよ今回のドライブ旅行の最終記事となります。

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