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現在、大震災と原発事故以来の日本初帰国中。

着いてまず感心したのは、節電状況。
自動販売機も、節電で暗くなっているし電車も店も冷房が弱い。
停電は痛いけれど、節電であれば別に今のところ全く不便さを感じないし、働く人々の服装もカジュアルに涼しげになり、良いと思う。
今まで、私たちはエネルギーを随分と無駄にしてきたのだと改めて痛感。

店内や電車の冷房に関しては、これまで寒過ぎる程で、外がどんなに暑くても上着がないと外出出来ないでいたが、上着無しでもとても快適に過ごせる温度である。

家庭も企業も節電により多少の不便はあるかもしれないけれど、電気代の節約になるし、かつての日本の伝統を取り入れた、電気に頼らず涼を取るための商品や方法を見ると、日本人が皆で協力し合ってこの大変な時を乗り越えようとしている団結心を感じたり、日本人はさすが!と思ったり。
諦めるというよりは、受け入れてどう生きるかを前向きに模索していく姿には、世界を感動させる力があるはず。


現在もまだ原発から漏れているらしい放射能、強烈な円高(1500米ドルが、たったの11万ちょっとになってしまった!)と、日本にとっては痛い状態が続いているけれど、経済的にも、震災や原発事故の深い傷からも出来る限り早く立ち直れる事を強く願う。



という訳ですが、私の実家の界隈に居ると、実は節電、食品のチェックや雨に当たらないようにするなど以外には、あまり以前と変わった様子を感じない日本。
相変わらず、店に行けばとても魅力的な商品が沢山並んでいる。

日本に帰ると、店での買い物や商品チェックが楽しいのだけれど、帰国早々100円ショップで、こんな商品を発見!
日本在住の方には普通の商品なのかもしれませんが、私は見た事が無い様な気がするし、夫にはかなり仰天されていた、
指サック
指サック。
別に指サックを見た事が無い訳ではなくて、


指サック
形がとっても印象的....一瞬ミニコンドームかと。


しかも、
指サック
使い方の図解説も怪しげ。
それから、注意事項の英語がおかし過ぎです。(英語の分かる方は、読んでみましょう。)
とっても詩的と言った方が良いかな。


こんな何でもない商品にとても感動する私は、浦島太郎状態ですね。


こちらは、白桃です。
指サック
こういう桃、カナダにはありません。
現在桃はシーズン。あまりにも美味し過ぎて、毎日食べてもいいくらい。

日本の美味しい美味しい食べ物が、放射能に汚染されてしまって食べられない(または敬遠する状況)を、本当に残念で悲しく思う帰国の日々です。


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『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』(Rise of the Planet of the Apes)

猿の惑星


2001年のティム・バートン作、オリジナルの1作目である『猿の惑星』のリメイク『PLANET OF THE APES/猿の惑星』はかなりコケたので、今回初めて予告を見た時には
『え~、またですか?』と、あまり興味も無かったのだが、フタを開けたらかなりの好評。
今回は、1972年のオリジナル『猿の惑星・征服』(Conquest of the Planet of the Apes)のアイデアをベースに作られているが、単にリメイクではなくて全くの別作品となっている。


サンフランシスコの科学者ウィル・ロッドマン(ジェームス・フランコ)は、アルツハイマー病治療薬の開発研究中、実験体となっていたチンパンジーが人並みの知能を持つようになったことに気がつく。そのうちの一匹である妊娠中のメスのチンパンジーから産まれた赤ちゃんも、毋からの遺伝により高い知能を持っていた。
赤ちゃんを預かることになったウィルは、シーザーと名づけ、アルツハイマーの父と共に子供のように育てるが、ある事件をきっかけに、シーザーの運命はがらりと変わってしまう。そして、人類の運命もまた....


期待に反して、好評通りにかなり面白かったです。
オリジナルでは、核戦争・核兵器が人類の運命を変えたけれど、時代は変わり、人類の運命を変えるのはバイオ・テクノロジー。いづれにしても、人間が作り出したテクノロジーにより自らの存在が危ぶまれる、ということには違いは無い。
ストーリーラインもとてもしっかりしていて、あっという間に映画の中に引き込まれてしまった。
人間になることは出来ないのに、高い知能を持って産まれたシーザーと、アルツハイマー病で徐々に知能が低下していくウィルの父親との対比が何とも言えない。お互いに信頼と家族愛で結ばれているのに、結局それが原因でシーザーの運命が変わってしまうシーンでは、感情的になってしまう。

猿の収容所で働く性格の悪い世話係に、『ハリーポッター』シリーズでもちょっと意地悪なドラコ・マルフォイを演じた俳優トム・フェルトンが、また良い味出して嫌な奴を演じている。

また、この映画でシーザーやその他のチンパンジーを演じているのは俳優で、目以外はデジタル・テクノロジーで作り出した映像である。今回もまた、偽物とは思えない質の高い技術を堪能することが出来た。
『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラム同様、モーションキャプチャ技術を駆使。しかも、俳優もゴラムを演じたアンディ・セルキスです。


猿の惑星
ウィル(ジェームス・フランコ)と、恋人のキャロライン(『スラムドッグ$ミリオネア』のフリーダ・ピント)。


猿の惑星
シーザー(アンディ・セルキス)と、ウィルの父。とても切ないシーン。


猿の惑星
特殊メイクではないし、実際に俳優が演じているから、CGとも違って動きもリアル。


因に、オリジナルの特殊メイク版。
猿の惑星
俳優さんの努力とは裏腹に、やっぱりちょっと嘘くさい。


この映画、終了してから配役などのテロップがすぐに出るが、そこで席を立たないこと。
人類に何が起こったのか? 第2作(もう作ることは決定しているようですが)へと繋がる重要なシーンが数分間流れるので、見過ごさないように。
今回のがとても良かったので、次の2作目にも期待がかかります。


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先週から、演劇の祭典フリンジ・フェスティバルが始まった。正式には、エドモントン国際フリンジ・シアター・フェスティバルという。
毎年このお祭りが開けると、いよいよもう今年の夏も終わりだなと思って、ちょっと寂しくなる。
今年はタダでさえ短い夏が前半寒くて、なんだか最近ようやく夏になったばかりなのに...


エドモントンのフリンジ・フェスティバルは、演劇シアターが集まっているオールド・ストラスコナのファーマーズ・マーケット界隈。
私は映画は観に行くけれど演劇を観に行く習慣が無いので、フリンジ・フェスティバルでもチケットを買って劇場へ行くことは無く、過ぎ行く夏を惜しみながら劇場の外での催しを観ながらをうろつくのが常。
しかしここ数年は出かける事も無かったフリンンジ。今回何年か振りで足を運んでみました。


フリンジ・フェスティバル
フェスティバルは、ホワイト・アベニューの一本裏通り。


フリンジ・フェスティバル
劇場が並ぶ狭い路地にも人が沢山。


フリンジ・フェスティバル
路地を抜けた所にある、劇場とチケット売り場。
ここの広場では、いつもストリート・パフォーマンスをやっている。


フリンジ・フェスティバル
以前は無かったような気がする、子供用の移動型遊園地。


フリンジ・フェスティバル
正確にはどれが劇場なのか、すべてを把握していない私。向こうは教会、手前は図書館だと思いますが....


フリンジ・フェスティバル
通りには、屋台がずらり。こちらは、物を売っていたりする店で、食べ物屋台はホワイト・アベニューのすぐ裏の通り。


フリンジ・フェスティバル
こちらは、屋外ステージ・パフォーマンス。大体いつもお笑い系。


フリンジ・フェスティバル
そして、ずらっと貼られた演劇のポスター。


それから、劇場には入らないけれど、私がフリンジで唯一入場するのが、
フリンジ・フェスティバル
テントでやっている『フリーク・ショー』。
しかし、今回は残念ながらショーの合間に当たってしまって、閉まっていたのでパス。
今回はどんなフリーク・ショーなのか、パッと見わかりませんでしたが、一度『蜘蛛女』とか観た覚えがあります。
その時確か入場料は2ドルで、思い切りがっかりするのかと思ったら、どんなに目を凝らしても、ちょっとやそっとじゃトリックを暴くことが出来ない驚く程良い出来栄えだった。


フリンジ・フェスティバルは、8月21日まで。
いよいよ、夏休みもあとわずかですね!



おまけ:
この日の気温は27度。
エドモントンにしてはかなりの暑さ。夕方には、こんな立派な雲が発生しました。
そら



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6月と7月は、寒くて毎日雨という酷いお天気だったエドモントン。
8月に入ってからは良く晴れ適度に雨が降り、気温も毎日20度を超えて、エドモントンらしいさわやかな夏日が続くようになった。
そろそろ秋の足音も聞こえてきそうなこの頃、ようやく夏ですかね?

というわけで、夏日よりの野菜の写真を紹介。

野菜
トマトの天敵、マグパイよけに張ったネットのおかげで、その後食われることなく毎日どんどん赤くなっているトマト。
毎日2食、欠かさず食べても食べきれない程。


野菜
小さめポットで育てたインゲン、意外にもちゃんと成長し、収穫期を迎えた。


野菜
最近の日和で、急成長中のパプリカ。こんなに沢山成ったのは、パプリカを栽培するようになって初めて。
現在ちょっと大きめのピーマンサイズです。


野菜
妙な形+メロンのようだけれど、カボチャ。


野菜
こちらは、一番最初に受粉したカボチャ。
今年は、カボチャ4株で4つのカボチャが成長中。一株に一つです。


野菜
そして、こちらも小さなポットの割にはなかなかの豊作。ナス。
実が極小から普通サイズとまちまちだけれど、順調に開花しては実をつけてくれます。

アブラムシの大発生で、栄養を吸われてちょっと可哀想な野菜達だけれど、とっても頑張って美味しい実を付けてくれています。



おまけ:

ティガー
今日はもう平常通りに戻ったティガー。
クロコ兄貴と一緒には寝ずに、いつも通り独りでお昼寝。


ティガー
夫の甚平を枕に、ご満悦顔です。



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一昨日抜歯手術を受けたティガー、帰宅日は麻酔薬の影響で随分おかしな様子だったが、昨日の朝はいつも通りに戻り、元気に我々を起こしにやって来た。
今回は化膿止の薬の副作用も無く、食欲も旺盛。柔らかい餌を与えるようにと言われていたけれど、ティガーはクロコ用のドライフードもペロリ。痛みも無い様子で、昨日も今日も、朝から元気に外へ遊びに出かけていた。

そんな、復活の早いティガー。とても久しぶりに、
クロコとティガー
クロコ兄貴の寝ているベッドで一緒にお昼寝していた!
最近は独りでリビングの椅子の上か、我々の寝室のベッドの上でしか寝ていなかったのに、嫌なことがあって兄貴に少し甘えたくなったのかな。


クロコとティガー
兄貴も、ティガーの上に足を乗せたりして、久々のラブラブ添い寝を満喫中。


そしてティガーも時々起きてはクロコをグルーミングし、愛情返し。
クロコとティガー
『おいら、また怖くて嫌なことがあったんニャ。』


クロコとティガー
『でも、クロコ兄貴の側に居ると、安心して眠れるニャ。』


クロコとティガー
『兄貴、愛してるニャ!』


クロコとティガー
『は~、おいら幸せニャ~。』


と、必殺愛情固めでクロコの頭を枕にし、幸せを噛み締めながら再び寝に入るティガー。
クロコとティガー
クロコ兄貴は全く気がつく様子無し。


夜8時頃まで睡眠したティガーとクロコ、一緒に起きて来て夕食を食べたら、早速一緒に出かけて行きました。



おまけ:
夕焼け
雷雨後の夕焼け(午後9時半頃)。


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CM2. TB0 TOP▲
昨年12月に観に行った、『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』(Harry Potter and the Deathly Hallows: Part 1)の第2部、『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』(Harry Potter and the Deathly Hallows: Part 2)を、ようやく観てきました。

ハリーポッター
10年に渡って公開されて来た『ハリー・ポッター』シリーズも、これで本当に最後。
半年経つと忘れてしまっている事が多いため、前もってパート1をDVDで復習、準備万端にて映画館へ。シリーズとしては初めての3Dで鑑賞。


前回に引き続き、ヴォルデモートの魂を分けて隠してある残りの『分霊箱』を探すハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は、小さな手がかりから一つ一つ糸をたぐり寄せるように、『分霊箱』へと近づいて行く。そんなハリー達の前には、次々と困難が待ち受けていた。
ハリーの命を狙うヴォルデモート、死喰い人(デス・イーター)達の攻撃を受けるホグワーツ魔法学校。いよいよ、ハリー自らヴォルデモートと対決するときがやって来る。


ストーリー、ヴィジュアルともに会心の出来。
10年前に、子供向けの魔法ファンタジー物語として始まった『ハリー・ポッター』、主人公の子供達の成長と共に話が進むにつれ、徐々に大人向けの重い内容に。最後は本当に重くて暗い話になった。別の終わり方もあったかと思うけれど、これはこれで大変良い終わり方だったと思う。
3Dが良いかどうかは別として、とにかくヴィジュアルが素晴らしい。始終暗いけれど美しい。架空の生き物も、実際にはそこに存在していないなんて信じられないくらいにリアル。
最近は多くの映画がコンピュータ・テクノロジーを駆使して作られているが、予算や作り手によって、やっぱり合成と分かってしまうもの。しかし今回の『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』の技術は、かなり気合いの入った質の高い仕上がり。

また、シリーズ化される映画は、回を重ねるごとに監督や脚本家が変わったり俳優が変わったり、つまらなくなったり質が落ちたりすることが多いが、『ハリー・ポッター』シリーズは、監督が変わっても7シリーズ8作品全て一定して上質に仕上がっている。また、過去の出演者が久しぶりに出て来たりも含め、メインの俳優達(亡くなった方を除いて)が皆、10年間最初から最後まで抜ける事無く仕事を全うした、というのも素晴らしいと思うし、凄い。

最後に来てがっかり、とならずに、本当に良かった。


ハリーポッター
ハリーVSヴォルデモート、最終対決。二人がどこかで繋がっているように思える秘密も明らかに。


そして、ハリー、ロン、ハーマイオニーの他にも、今回意外な人達が意外な活躍を見せてくれるが、この、善だか悪だかイマイチ良くわからない怪しい男、
ハリーポッター
スネイプ。この人の意外な事実も明らかに。

また、ホグワーツ魔法学校時代の懐かしの面々にも再会出来ます。

ハリーポッター
『分霊箱』を探すおなじみの3人も、すっかりお年頃。


『賢者の石』が公開された頃は、
ハリーポッター
こんなでした。

因に、この時の映画ポスターは、
ハリーポッター
楽しそうなファンタジー風。
最後のポスターと比べると、イメージにかなりの違いがある。


ついに終わってしまった『ハリー・ポッター』。なんとなく、ホッとした様な気もします。


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今日は、昨日の記事の終わりにちらりと触れた、5月末の交通事故により、根元付近で欠けてしまったティガーの歯の抜歯手術。

昨日の夜8時以降、食べ物を禁止されていたティガー。夜中に自由に外に出入りさせると、外で何か食べてしまうかもしれないと心配し、夕べは我々の寝室に監禁。
それが気に入らなくて、一晩中扉を開けようと騒ぎ、定期的に我々の上に乗っかって来て起こす、の繰り返し。
おかげですっかり寝不足です。


朝から空腹のティガー、8時の予約に備えて出かける準備にもご立腹。
毎月の病院通いのおかげで、「キャリーケース=嫌なことが起こる」と、すっかり学んでしまったティガー。
押し込められて、かなりご不満な様子。
ティガー
『ニャンで?』


獣医に到着、キャリーを開けると、
ティガー
『また、この嫌な匂いのする部屋ニャ!!』


診察台に乗せると、
ティガー
『もの凄く嫌な予感がするニャ!』


ティガーを届け簡単な診察を終えた後、我々は帰宅。
そして、3時頃に手術の終わる予定を知らされ、午後5時半、ティガーを迎えに行って来た。

帰宅直後のティガー。
ティガー
事故後の治療程ではないが、麻酔薬の影響で足取りがおぼつかない。更に瞳孔全開で、ちょっとハイな状態です。


ティガー
何かをもの凄く恐れている様子で、しっぽを巻いたままとにかく落ち着かなく辺りをうかがうティガー、時々ヘトっと転がる。


ティガー
触ったり近づいたりすると、妙に怖がるティガー。見えないモノが見えているかのように、一点をじっと見つめる。


ティギー、大丈夫?
ティガー
・・・・・・・・・・・・・・・・ジ~~。??????


この後、リビングの壁が気になって仕方がないティガー、壁をじっと見つめたまま動かない。
数時間後に様子を見に行くと、
ティガー
2時間以上、同じ位置に同じように座って、ひたすら壁を見つめていた。


ティガー
いったい、何が見えているのでしょうか?


ティガー
動かず、じ~っと何かを見つめるティガー。


ティガー
ティガー、深いトランス状態に入っている様です。


ティガーの手術代は、結局1100ドル以上かかった。痛!
しかも、歯の根元には炎症は起こっていなかった、とのこと。う~ん、炎症が無いのに、高額な手術費用をかけて薬漬けにして歯が1本無くなってしまって、ティガーにとって果たしてこれで良かったのかどうなのか。術前も術後も正直分からないでいる。
ただ、確かにゆくゆくは歯が融けて炎症を起こして抜歯、ということになった可能性は高い。が、抜歯はそうなった時でも良かったのではないか?、獣医には、愛猫のためにはいくらでもお金を出す良いカモ、と思われてしまっているのでは? でも、もし獣医の言うように炎症が起こるなら、早いうちに対処した方が良いのだろうと思ったりで、今回はかなり決断するのに葛藤がありました。獣医のセカンド・オピニオンを取りたくても、行けばまた100ドルで、しかも同じ結果かもしれないと思ったり。
結局獣医の思うツボ、になってしまったような....


とにかくティガー、もうこれで本当に暫く獣医通いが無くなってくれれば、と願うばかり。
術後の経過が順調でありますように!


おまけ:
庭から収穫した野菜のみを使って、野菜炒めを作ってみました。
野菜炒め
ニンジン、ズッキーニ、ナス、パプリカ、インゲン、キヌサヤ、ネギの、ブラックビーン・ソース炒めです。


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CM0. TB0 TOP▲
先月末に、畑の天敵マグパイ撃退のために張ったネットのおかげで、その後は食われることなく順調に赤くなっているトマト達。
7月の太陽光の少なさが響いて若干甘みにかけるものの、スーパーのトマトはもちろんのこと、ファーマーズ・マーケットのトマトよりも更に美味しい。
8月に入って割と良く晴れ暖かい日が続いているため、夏野菜も嬉しそうに成長し、現在野菜は中期収穫期に突入。
色々な野菜が、盛んに収穫出来る時期です。

一昨日の収穫。
野菜
グリーンピースとキヌサヤはそろそろ収穫期を終え、代わりに収穫期に入ったのはインゲン。
枯れそうになっていた枝豆の苗からも、小さなさやを収穫。


ナス
双子ナス。
ナスは、なかなか大きくなってくれないものの、ポツポツと収穫している。
小さいながらも、味はまったりしていて、焼いても煮ても炒めても美味しい。


今日の収穫。
野菜
パプリカとセロリは、初収穫です。
セロリは沢山作り過ぎているため、全部食べ切る前に凍結となりそうだから、ちょっと早いうちから穫って食べ始める。まだ生では苦いが、炒めたりスープに入れると結構イケます。
パプリカは小さいけれど、過去最高の出来。そして、土のせいか天候のせいか分からないけれど、今年は大変実りが悪いズッキーニ、ようやくこの夏5本目の収穫。


今日は穫らなかったけれど、この他に時々キュウリ、パセリ、葉物やネギなども定期的に収穫中。



ところで話題は変わりますが、
5月末に交通事故に会ったティガー、その後はブログにもアップしていたように、一時肺に炎症があったりしたものの、頑張ってすっかり回復しとっても元気になったのですが、先月の定期健康診断で、事故で欠けてしまった歯と根元の歯茎の状態が良く無い、ということで抜歯手術をすることになりました。
抜歯手術は明日の朝。可哀想なティガー、今年1月に血尿で病院通いになって以来、毎月のように獣医にかかっている。
1月:膀胱炎治療とその後の検査、2月から4月:突発性膀胱炎治療とその後の検査、5月と6月:交通事故とその後の検査、6月:肺の治療、そして7月に定期健康診断の後は8月に抜歯手術....

ティガー、早く獣医から脱出して、どこにも問題の無い健康な猫になってほしいと願うばかり。
今年に入ってからティガーにかかった獣医費用、今回の抜歯を含めて2000ドル以上かかっています。
因に今年のクロコの獣医代は100ドル弱。ティガー....今度こそ、これで暫く獣医は終わりにしてね。
ペット保険に入っておけば良かった、と思うこの頃。



おまけ:
以前紹介した、この
Obasan
オバさん・ストアで、


オバさん
『オバさん・サマー・セール』をしています。
どんなオバさんを売っているんでしょうね!?


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今回のサスカチュワン小旅行の最終日。

結局黒猫を一度も見かける事の無いまま、ライオン・ヘアカットの可愛いホステス、シュレッダーちゃんに別れを告げて、
シュレッダー
(窓の外の小鳥に夢中のシュレッダーちゃん、夕べのベタ甘えぶりが別猫のようにシレッとしています。)

サスカトゥーンから45分程北へドライブしてバトッシュ国立歴史史跡(Batoche National Historic Site)へ向かう。

バトッシュ
サイト・マップ。
エリア1: 案内所
エリア2: 教会
エリア3: カナダ軍野営地
エリア4: 旧バトッシュ村
そして、川はサウス・サスカチュワン・リバー。

バトッシュは、マニトバを追われたメィティ達が新たな定住の場として開拓した村。
目の前のサウス・サスカチュワン・リバーの向かいには、ハドソン・ベイ・カンパニーが建てた毛皮の交易所であるフォート・カールトン(Fort Carlton)がある。
1872年、メィティの商人ザヴィエ・ルタンドレ(Xavier Letendre)はここでフェリー・サービスを始め、その後商店などのビジネスを広げて行く。彼のビジネスは成功し、村は1200人の人口を誇る北西部の商業の中心地として栄えた。そしてザヴィエのニックネームから、バトッシュ(Batoche)と呼ばれるようになる。

しかしカナダ政府がマニトバに続き、再び土地分配法をイギリス式にしたことや、メィティに対する尊重に欠けていたことなどから不満は高まり、かつてマニトバの反乱を率いて敗北、モンタナに潜んでいたリーダー、ルイ・リエルを呼び寄せ、1885年リエルの元再び決起する。(『1885年のカナダ北西部の反乱』簡単な概要はこちらの過去記事で。)
メィティ軍は、1885年の3月にダック・レイクで北西部騎馬警察隊を攻撃、勝利。翌月4月、フィッシュ・クリークではカナダ軍援軍と対決、五分五分の戦いの後、カナダ軍はバトッシュ入りする。
5月、800人以上のカナダ軍に対し、300人以下のルイ・リエル指揮下のメィティ軍は、必死の攻防の末敗北。ルイ・リエル自らカナダ軍へ投降し反乱は終結した。4日間の戦闘の末、亡くなった人の数は25名以上だった。

戦闘後、村はほぼ壊滅。その後再建されたが、『反逆者』のレッテルを貼られたメィティたちのビジネスは苦戦、かつての繁栄を取り戻すことは出来なかったようだ。カナダ・パシフィック鉄道は、新しい移民エリア(レジャイナ方面)へ鉄道を通すことにし、最終的にバトッシュの住民は新たな住居を求めて西や北へ散らばっていった。


バトッシュ
バトッシュ国立歴史史跡の中は広く、主に草原地帯。そしてオリジナルの建物は3つしか残されていない。


バトッシュ
そのうちの一つ、エリア2にあるカトリック教会。


バトッシュ
教会の中は、質素ながら奇麗に飾られている。1800年当時からのオリジナルの絵も。


バトッシュ
こちらは神父の家。
この建物が先に立ち、教会は後から建てられた。入り口側の2階付近の外壁に、1885年の戦いの際に打ち込まれた弾丸の跡が、いくつか残っている。


バトッシュ
この家は、教会が建てられる前には教会として、それから学校、更に郵便局の役目も果たしていた。


教会と神父の家は、案内人付きでのみ見学出来る。
バトッシュ
案内人はお客さんが来ると最初に教会、そして神父の家に連れていってくれるが、時間割りが無いので、新しいお客さんがコンスタントに来ると休み無く2軒を行ったり来たり。
案内のおじさんはメィティの方で、確かこの家の学校で教師をしていた人の子孫だと言っていた。


教会の後は、近くにある墓地へ。
バトッシュ
この墓地はカナダの史跡ではなく、現在もメィティ・コミュニティーの管理下にある。

立ち入りは自由。
バトッシュ
1885年の戦いで亡くなったメィティ兵士の集団墓地。


墓地見学の後、少し遊歩道を歩く。
バトッシュ
ちらっと見えているのは、サウス・サスカチュワン・リバー。


さて、エリア4の旧バトッシュ村へは歩いても行けるが、近くに別の駐車場もあるので、車で行って見た。
バトッシュ
かつてメイン通りだった道に沿って、建物の基礎や地下室だったらしい名残のみが残されている。


バトッシュ
1885年の戦い直後のバタッシュ村。戦で大分焼かれてしまったというが、せめてこれらの建物だけでも残されていたら良かったのに。メンテナンスは大変でしょうが、このサイトがより魅力的になったはず。
建物がすぐに取り壊された理由は、新しく建てる家の建築材として再利用していたため。


バトッシュ
旧バトッシュ村のメイン通りから、サウス・サスカチュワン・リバーへ降りる道は林の間に今も残っている。
ここを、荷馬車が行ったり来たりしていた。


バトッシュ
林の道を降りて行くと、川沿いの旧船着き場へ出る。現在は少し広くなっているだけで何も残っていないが、少し北へ行ったあたりに、今もフォート・カールトンへ渡るフェリー・サービスがあるらしい。

時間がなかったので多分行かなかったとは思うが、この夏の長雨で川が氾濫し、フォート・カールトンは閉鎖中だった。


そして、バトッシュ国立歴史史跡で予定よりも時間を取ってしまったので遅くなったものの、
エドモントン
日没ギリギリの9時半、なんとかエドモントンへ到着。



帰宅して以来、エドモントンもようやく随分夏らしくなりました。

たった2泊3日なのに、留守から帰るといつも野菜が急成長して見える。
今回も、翌日には沢山の野菜を収穫できました。
野菜


旅行記にお付き合いいただき、ありがとうございました!
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バトルフォードからイエローヘッド・ハイウェイを東へ1時間少しでサスカトゥーン(Saskatoon)へ到着。

この日はとにかく東京並みに暑く、バトルフォードで一日屋外観光した私は少々ダウン。
とりあえず、宿泊先のB&B、ブルー・アイリス・イン(Blue Iris Inn)へ。
このB&Bを選んだのは『黒猫がいるから』だったのだが、黒猫の代わりに私たちを大喜びで接待してくれたのは、

シュレッダー
(ちょっとわかり辛いですが)ライオン・ヘアカットの可愛い女の子、シュレッダーちゃん。

会ったそばからゴロゴロすりすりの甘えぶりで、私がベッドで休んでいたら部屋に入って来て私の上に乗ってきた。
もみ手をしながら私の喉をグルーミング。最終的に私の隣へ落ち着いて、一緒にお昼寝。
可愛い過ぎです。


一休みしてから、サスカトゥーンの街に出てみた。

サスカトゥーン
サウス・サスカチュワン・リバー(South Saskachewan River)


歴史観光もいいけれど、ちょっと一息入れるため美術館へ。
メンデル美術館
メンデル美術館(Mendel Art Gallery)

知り合いが展覧会をしているのをたまたま知ったので観に行ったのだが、2人展かと思って行ったら二人で行った版画パフォーマンス、という感じの展覧会だった。
作品自体がどうこう、というよりは、行為を重要視。その結果出来たものを展示しているという具合。

この展覧会にはちょっとがっかりしたけれど、割と面白かったのは別の会場での、ベティ・グッドウィン(Betty Goodwin): 闇と記憶(Darkness and Memory)という展覧会。
展示作品が全て面白かった訳ではないが、最終的に「見に来て良かった」と思わせてくれる展示だった。


メンデル美術館は、入館料制ではなくて寄付金制。
なので、展覧会を観た後にいくら入れようか、と決めることが出来るのが良い。
それから、この美術館には、熱帯植物園もくっついている。
メンデル美術館
しかしタダでさえ暑いのに、植物園の中は更に蒸し暑かったたので、パス。


美術館を出たらもう夕方。
夕食は、このホテルの中の日本食レストラン『サムライ』へ。
ホテル
デルタ・ベスボロー・ホテル(Delta Bessborough Hotel)。1930年前後に、カナダ国営鉄道が建てたホテル。

さて、『サムライ』レストランですが、主に鉄板焼きがメイン。
味は、純日本食という感じではなく、バターを使ってちょっとこってりしている。鉄板焼き職人も、日本人では無さそう。
しかし問題は、待ち時間。鉄板焼きのテーブルがほぼ満席になるまで待たなくてはならない。
私たちが行った時は、ちょうど新しいテーブルで、次の客が同じテーブルを埋めるまで30分程待ち。
その後注文を取った後も、鉄板焼き職人が別のテーブルを終えるまで更に40分以上待ち....
あまりの空腹に胃が痛くなったほどで、前菜を頼まなかったことを非常に後悔。結局1時間以上待った後にようやく注文の品を焼きに来た。7時過ぎにレストランに入り、食事にありついたのは9時近く。
あと5分待たされていたら、食べずに立ち去っていたことでしょう。


満腹ながら、ちょっと呆れて宿へ戻った私たちを、再び大喜びで歓待してくれたのは、

シュレッダー
またまたシュレッダーちゃん。


早速我々のベッドの上に乗って、
シュレッダー
こんなポーズまで。

部屋の扉は閉めて寝たかったので、シュレッダーちゃんには泣く泣く退室して頂きました。


旅行最終日の明日は、バトッシュです。

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朝から快晴の夏日より。
昨日のフレンチマン・ビュートから、3号線を東へ、21号線を南へ走って再びイエローヘッド・ハイウェイに戻り、バトルフォードへ向かう。フレンチマン・ビュートからバトルフォードまでの運転時間はおよそ1時間半。

ノースサスカチュワン・リバーとバトル・リバーが交差する街、バトルフォード。ノースサスカチュワン・リバーの南側をバトルフォード、北側の街はノース・バトルフォードとなっているが、二つの街は合わせてザ・バトルフォーズ(The Battlefords)と呼ばれている。
開拓時代には北西部準州の州都だったというバトルフォード。結局ウィニペグからの鉄道を南へ通すことになっとことに加えアメリカを警戒し、州都は南のレジャイナに移った。現在、煙突と基礎だけという政府の建物跡が、街の外れにひっそりと残されている。
アウトドア以外にあまり観光客が訪れそうもないこの街の、最大のアトラクションである国立歴史史跡、フォート・バトルフォード(Fort Battleford)
今回の旅の2大目的地の一つだ。


1876年に建てられたフォート・バトルフォードは、先住民族との毛皮の交易とカナダ北西部の治安維持の為に北西部騎馬警察が駐屯したフォート。
『1885年のカナダ北西部の反乱』(昨日の記事を参照)では、クリー族の平和酋長ポンド・メーカーが話し合いを持とうとしたが、お互いに信用出来ずにフォートの扉は開かれる事無く話し合いは決別した。”インディアン”の襲撃を恐れた500人程の付近の住民をかくまったことでも知られている。実際には襲撃は無く、カナダ軍が援軍に来た時もフォート・バトルフォードでは争いは無く、実際に戦いがあったのは、バトルフォードから少し南の、クリー族のテリトリーであるカット・ナイフ・ヒルだった。


フォートの観光は、入館料のみで自由に見て回る事も出来るが、3ドルちょっと足して、1885年当時の衣装に身をまとった案内人付きのツアーを楽しむ事が出来る。
ツアーの案内人は北西部騎馬警察、クリー族、毛皮交易商人、住民などから1人を選ぶ。


フォート・バトルフォード
フォートの内側には、1800年代のオリジナルの建物が4つ。


フォート・バトルフォード
一番立派な、司令官の家。


フォート・バトルフォード
家の中に、バッファローの角で作った椅子がありました。


フォート・バトルフォード
この棚に置いてある漬け物は、なんと1800年代当時のもの。
ぜったいにフタを開けたくないですね!?


フォート・バトルフォード
私たちが選んだ、住民ガイドさん。


フォート・バトルフォード
こちらは、馬屋。
当時東南アジアブームだったとかで、建物の屋根が中華風?


フォート・バトルフォード
こちらは刑務所です。


フォート・バトルフォード
この独房は軽犯罪者用で、重罪犯の独房は全面鉄板張りで、穴を掘って脱走出来ないようになっている。


フォート・バトルフォード
フォート内では、大砲の実演も。実際は火薬を爆発させるだけだが、音が凄い。


さて、およそ2時間に渡るの案内人付きのフォート・バトルフォード・ツアー堪能した後、
西部開拓博物館
ノース・バトルフォードにある西部開拓博物館(Western Development Museum)へ。
サスカチュワン州内に4つある西部開拓博物館の一つで、農業がテーマ。


年代を追って様々なものが展示されてある本館以外に、屋外の建物館も見どころ。
西部開発博物館
1900年初期の商店街。 
フォート・エドモントン・パークのミニチュア版みたい。


西部開発博物館
農業テーマなので、農耕機具も展示。


西部開発博物館
こちらはウクライナ式ハウスと正教会。
この日は気温が36度近くまで上がってかなり暑かったが、茅葺き屋根のウクライナ式ハウスの中は冷房が効いているかのように涼しかった!


西部開発博物館
ウクライナ正教会の中。


西部開発博物館
こちらは、手前がプロテスタント教会、その向こうに見えるのはローマン・カトリック教会。


西部開発博物館
ローマン・カトリック教会の中。出来る範囲でゴージャス。


西部開発博物館
プロテスタント教会の中。とってもシンプル。

この西部開拓博物館、思っていたよりも充実していてかなり感心しました。
暑かったので屋外建物館を見て回るのにかなりバテてしまったけれど、行ってみて良かったと思いました。

あと、ノース・バトルフォードには、有名なファースト・ネイション・アーチストのアレン・サップ美術館もあるが、こちらは時間が無くて寄る事が出来なかった。ちょっと残念!


バトルフォードを満喫した後は、次の目的地、サスカトゥーンへ向かいます。

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カナダ西部、プレーリー地方の歴史は浅い。
アルバータ州やサスカチュワン州には、国立や州立の歴史公園や史跡などがあるが、史跡の殆どはヨーロッパ人が先住民族と毛皮を交換するために建てた交易所と北西部騎馬警察、現ロイヤル・カナダ・マンテッド・ポリスの治安所であるフォート跡。
そして、昨年訪れたサイプレス・ヒルズにあるフォート・ウォルシュ同様に、先住民との間でカナダの歴史上重要な争いがあったフォートは、現在カナダ国営の歴史資料跡として保存されている。

毛皮交換と先住民族無しには語る事が出来ないカナダ西部の歴史。
今年もまた、そんな歴史に触れる小旅行に行ってきました。
今回のターゲットはサスカチュワン。
『1885年のカナダ北西部の反乱』に関わった史跡を訪ねる2泊3日の旅です。


ここで、『1885年のカナダ北西部の反乱』について簡単に。
カナダの先住民族とヨーロッパ人(多くがフランス人)との混血民族メィティ( Métis)が、度重なる政府への不満を爆発させて起こした反乱。バッファローの半絶滅による飢餓や自然災害以外にも、メィティ独自の土地分配法(全ての住民が川沿いに土地を得る事が出来るように川から細長く土地を分ける)を、カナダ政府がイギリス方式(川とは関係なく、全て正方形に切って分ける)にした事への怒りなども大きな要因となった。メィティは1869年から70年にマニトバで最初の反乱を起こしており、サスカチュワンは2度目の反乱。
同じ頃、メィティ達の反乱のことを聞きつけた、付近の先住民族である草原のクリー族達も、交易所と交わした契約通りに、約束していた食べ物や薬などを、きちんと渡してくれないカナダ政府への怒りが爆発し、自分たちも反乱しようと思い立つ。クリー族の2つのグループの平和酋長ビッグ・ベアーとポンド・メーカーに変わり、反乱を率いたのは、戦士酋長であるワンダリング・スピリットとファイン・デー。(クリーの伝統では、平和と戦争を担う二人の酋長がいて、戦いに関しては戦士酋長の決定に任されていた。)
上記二つの反乱は独立して起こったものだが、政府はメィティとクリー族が協力して反乱を起こしたと考え、カナダ軍を初めて派遣した。

カナダ軍の力に反乱はほどなく終結、1985年3月26日から5月12日の間に、北西部準州、現在のサスカチュワン州内9カ所での戦いで、双方あわせて128名の命が失われた。
そして裁判では、メィティのリーダー、ルイ・リエル(Louis Riel)を絞首刑に、平和酋長と戦士酋長のシステムを知らないカナダ政府により、戦争酋長ではなく平和酋長であるビッグ・ベアとポンド・メーカーも反乱の罪により処刑されてしまう。後に戦士酋長であるワンダリング・スピリットも処刑されたが、ファイン・デーだけは捕まることなく、家族と幸せに暮らし続けたという。


..というわけで、
初日の目的地は、フレンチマン・ビュート(Frenchman Butte)。
エドモントンからイエローヘッド・ハイウェイを東へおよそ230km、アルバータとサスカチュワンの州境の街ロイドミニスター(Lloydminister)から州境線を約25km北上、3号線から再び西へ入って30km程走ったところにある、ノース・サスカチュワン・リバー沿いの小さな村。
ここに、クリー族の戦士酋長ワンダリング・スピリットとカナダ軍が戦った跡が、フレンチマン・ビュート国立歴史跡(Frenchman Butte Historic Site)として残されているが、何故かどうしても見つける事が出来ずに、代わりに辿り着いたのは、

フレンチマン・ビュート
フレンチマン・ビュート村にあるフレンチマン・ビュート博物館
オリジナルの家などを含めた9つのビルからなる博物館で、一応、『1885年の跡』となっているように、メイン館ではフレンチマン・ビュート反乱の歴史などが分かる展示もある。が、多くの骨董品は、ロイド・ファーマン(Lloyd Furman)という人の収集品で、博物館に寄贈されたもの。
この写真は旧CN鉄道の駅舎で、メイン館のようだがそうではない。


博物館見学は、案内人付きで。
最初に連れて行かれたメインの博物館の中は、こんな感じ。

フレンチマン・ビュート


フレンチマン・ビュート

個人の収集物とは思えない、大量の骨董品。
ロイドさんの寄贈品は最初、CN鉄道の駅舎に飾られていたが、最終的には増え過ぎて、ロイド・ファーマン・ビルという建物を建てて、そこに展示。それが博物館ツアーで最初に連れて行かれるメイン館。


最初の博物館であった駅舎の中にある、駅長さんが暮らしていた部屋。

フレンチマン・ビュート


フレンチマン・ビュート
キッチン。ロイドさんの収集品だけでなく、村人からの(不要品の)寄贈なんかも結構多かったらしいが、現在ではあまり寄贈は無くなった模様。


次に連れて行かれた、
フレンチマン・ビュート
リーア・ハウス(Leer House)。リーアさんという家族が住んでいた手作りの個人邸で、1928年築の質素な木造家屋。


フレンチマン・ビュート
室内。右の方にある木の箱は冷蔵庫。


それから、外から見て家かと思った建物は、連れて行ってもらったら、
フレンチマン・ビュート
学校だった。こちらは1926年築。


フレンチマン・ビュート
博物館の前の集落も博物館の一部かと思ったら、ただの住居でした。


フレンチマン・ビュート
フレンチマン・ビュート村は可哀想なくらい錆びれているけれど、思わず『可愛い!』と叫んでしまった、小さな郵便局。


博物館はそれなりに面白かったが、1885年の反乱の歴史というよりは、フレンチマン・ビュート村の個人史みたいな感じだった。
それから、フレンチマン・ビュートの少し西に、ハドソン・ベイ・カンパニーが1830年に建てた毛皮の交易所で、1885年の北西部の反乱の一舞台となったフォート・ピット(Fort Pitt)史跡公園があるが、こちらは国立ではなくて、州立。今回は国立史跡をターゲットとしていたため、立ち寄らなかった。

次は、更に東のバトルフォードへ向かいます。

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